先日、密かに憧れている友人と焼肉に行った。
憧れていると言っても、
異性としての憧れではなく、尊敬の対象としての憧れだ。
彼はすごい。
所属していた大学のサークルでは
恵まれた容姿を持ちながら、奢ることのまったくない努力家なおかげで
学年で、いやチーム全体でも群を抜いて技術があり、
その上誰も彼を嫌いな人はいないんじゃないかと思うような
人望と性格の良さを持ち合わせている。
最高学年になる際は、
圧倒的票差で幹事長に推薦されながらも
「俺はみんなの前に立ったり、引っ張っていくような器じゃない」といって
辞退した男。
もちろん、憧れているのは本人には内緒で、
私と彼の仲はということ、「飲みいかね?」で行った先が牛角(しかも食べ放題コースの一番安いの)だと言えば想像してもらえる通りの間柄なので、
今更憧れているなんて、こっぱずかしくて言えたもんではない。
「どれだけ元をとれるか」に必死になりつつ
いくつか話題を交わす中で、
私が旅先で出会った優しい人の話になった。
石垣島に一人旅に行った時、
現地で偶然出会った方がとてもいい人で、
バスがこないから仕方なく片道1時間半歩こうとしていた私を
車に乗せて目的地まで連れて行ってくれただけでなく、
おすすめの観光スポットや、地元のスーパー、穴場の食事処など
何から何まで良くしてくれた。
そのおかげで
旅が数倍いいものいなった、という話。
話の終わりに私が
ちょっと大げさに「まじであの人は、出会えてよかったわ~」と言った。
まあ実際、本当に出会えてラッキーだったし。
すると彼がこう答えたのだ。
「すげえなあ、いいなあ、俺も出会えてよかったと思われる人になりたいなあ」
え、何それ。
すごいってそっち?
旅先でいい人に出会えた運の良さの方じゃなくて??
ていうか、
出会えてよかったと思われる人になりたい、ってなに??
私なんて
有名になりたいとか、金持ちになりたいとか、
私利私欲にまみれてるってのに
23歳でその願望?君はルフィなの??
そもそも、
「思われたい」じゃなくて「思われる人になりたい」ってことは
その“いい人”の状況とか境遇じゃなくて、
人格を羨んでるってことだよね?
そこを羨ましがれる時点で、人格者すぎない?
なによりその言葉が
大勢の前のスピーチでも、かっこつけた作文でもなく、
「牛角」でぽろっとこぼれるという
彼の心のまっすぐさに感服。
この一件で私は
自分の、人を見る目は間違ってなかった、との確信を深めるとともに、
その日から
「出会えてよかったと思われる人になる」は
私の“目標リスト”にも
加えられることとなったのである。